印鑑の書体1

 

篆書体:

篆書体(てんしょたい)は「篆書」「篆文」ともいい、広義には秦代より前に使用されていた書体全てを指すのですが、一般的には西周末の中国の古代文字である金文を起源として、戦国時代に中国西北部に発達し、さらに秦代に整理され公式書体とされた小篆とそれに関係する書体を指していいます。印鑑に用いられることがもっとも多い書体で、現在でも、「古代文字」に分類される書体の中では最も息が長い書体です。金文から更に字形の整理が進み、方形を志向しているものが多くなっています。文字の形は天地が長い長方形の辞界に収まるように作られ、点画は水平・垂直の線を基本とし、円弧をなす字画はすみやかに水平線・垂直線と交差するように曲げられる。画の両端は丸められ、線はすべて同じ太さで引かれます。このため金文と違って上下左右の大きさのバランスが整っており、極めて理知的で謹厳な印象を与える文字に進化しているといえます。一方曲線を主体とするため有機的な趣きを併せ持ち、独特の雰囲気を持つ書体となっており、後世の漢字のようにへんとつくり、かんむりとあしのように部首分けが容易なのも特徴的です。

 


隷書体:

隷書体(れいしょたい)は、「八分」「分書」とも呼ばれる漢字の書体の一です。その昔、「ていばく」という下級役人が罪を得て獄中にあった時、隷書を発明しこれを献上することで始皇帝に赦されたという伝承があるほど歴史のある書体です。しかし、この説はこれは俗説に過ぎず、実際には、戦国時代頃から日常に通用されていた筆記体が、秦代になって業務効率を上げるために公文書でも用いられるようになったものが、この隷書だと考えられています。また、紀元前3世紀後半の「睡虎地秦簡」などに見られる、篆書を簡略化した過渡的な書風を「秦隷」と呼びます。

 

前漢前期には篆書から隷書への移行が進んで、秦隷と平行して、草書のもととなる早書きの「草隷」・秦隷の要素を残した波磔の小さい「古隷」・波磔を強調した装飾的な「八分」といった、多様な書風が展開されていたことが、「馬王堆帛書」「銀雀山竹簡」「鳳凰山木牘」などの帛書や簡牘類などによって確められていきます。また、前漢中後期を中心とする資料「居延漢簡」では、これらの書風がすでに様式として確立されてたことが分かります。そして、後漢の時代に入ると、筆記体としての隷書はさらに発展し、草隷より進んだ速写体である「章草」や、現在の行書ないし楷書のもととなる書風の「萌芽」をも見ることができ、そして、隷書が盛んに通行したこの時代には、安定した政権のもとで儒教の形式化が進むにつれ、隷書を用いて石に半永続的な記録を刻むことが流行しました。それら後漢の刻石資料に見られる書風は、おおむね桓帝または霊帝の前後で二分することができ、その前半期には古隷が多く、後半期には八分が多い。これらはいずれも書道における隷書体の範を示すものとして、後世から最高の評価を与えられています。しかし、漢王朝の衰退に伴って、書体としての隷書の知識や技法は失われていきます。この背景には紙の発明と普及が、筆記の方法や形態に何らかの影響を及ぼしたことも考えられますが、いずれにせよ、その後隷書が広く用いられることはなく、研究や表現の一形式として試みられるに留まっています。


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